比較がやめられない人には、ある共通点があります。
それは 自分の人生の基準を、まだ決めていないこと。
だから無意識に他人を基準にしてしまい、他人から選ばれることで自己価値を証明しようとしてしまいます。
・あの人より上か下か
・進んでいるか遅れているか
・他人に認められるかどうか
私も若い頃はそうでした。
でも、他人に認められても、自分が自分のことを好きになれないと地獄です。
私は、他人から嫌われても仕方ないと諦めています。
どれだけ礼儀正しくしても、嫌いという人は必ず出てきます。
他人は天気と同じで、コントロールできません。
コントロールできないことで悩むのは、確か「時間⏰の無駄」と言います。
見捨てられ不安があると、見捨てられないようにして他人軸になり、結果として自分らしさを失います。
他人の持っているものを羨ましいという気持ちを原動力にしている間は二流で、本当の意味では心は幸せにはなれません。
よく考えてみてください。
行き先が違うのに、そもそもスピードを比べる意味はありますか?
東京に向かう人とアメリカに向かう人が、どちらが早く辿り着くかを競争しているようなものです。
賢い人は、比較をすること自体が無意味だと知っています。
では、比較癖をやめるにはどうしたらいいのか。
それは、内面をホリホリして 自分のライフミッション・ゴールを言語化すること です。
そうして「誰かから選ばれる存在」という立場を降り、自分で何事も選ぶ存在になるのです。
「私はどこに行きたいのか」
それを決めた瞬間🩷、あなたはあなたの人生の主人公になります。
比較癖を止める唯一の方法は、
・自分のゴールを思い出すこと
・他人から選ばれることに自分の価値を置かないこと
それを、私は「ライフミッション」と呼んでいます。
ライフミッションは、あなたの使命です。
日本は単一民族の文化の中で、同一の価値観であることを良しとしがちです。
おそらく自分に自信がないから、自分と意見が違う人を無意識に見下したり、否定したりしてしまう。
そして他人に勝とうとして、自分以外の何者かになろうとしてしまいます。
でも、自分は自分なので、自分以外にはなれません。
美・お金・子どもの学歴など、分かりやすい他者基準で存在価値を証明しようとすると、多くの時間を無駄にしてしまいます。
私たちに、そんな暇は残されていません。
他人と意見が異なっても、「自分と意見が違うだけ」。
否定しなくていいし、気にしなくていいのです。
アメリカに行きたければ行けばいいし、シンガポールに行きたければ行けばいい。
旅行に行きたくない人を否定している暇も、時間も⏰ありません。
ここで「ゲシュタルトの祈り」を紹介します。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるのではない。
そしてあなたも私の期待に応えるためにこの世にいるのではない。
私は私、あなたはあなた。
もし縁があって私たちが出会えるなら、それは素晴らしいこと。
もし出会えなくても、それは仕方のないこと。
出会えただけで、その場は「思い出」になる。
それでいいじゃないですか。
ビジネスや起業の現場において、この言葉は非常に重要な役割を果たします。
私たちは悩んでいるとき、変えられないもの(他人の感情・過去・景気・評価)にエネルギーを使いすぎて疲弊しがちです。
この祈りは、「自分のコントロールできることに集中しなさい」ということを思い出させてくれます。
多くの起業家や経営者にも愛されている言葉です。
ぜひコメントしてね💛