コンプレックスを超えて自分責めにサヨナラする

人は何かしらコンプレックスを持って

人と比較して生きています。

お金持ちになっても

もっとお金持ちと

比較している人もいるし

お金があっても

若さと

比較するかもしれないし、

お金があっても

影響力と比較する

かもしれないし、

お金があっても

パートナーシップの良好さ

を比較するかもしれません。

お金があっても

背の高さ・低さ・外見で

比較するかもしれません。

自分のコンプレックスを

刺激するものが

なになのか?

は人によって

異なります。

自分のコンプレックスにきちんと

向き合うと・・・

実は、

それがユニークな

才能であったり。

天才性であった

ということに

気づけたりします。

わたしが開発する講座では

そのようなことに皆んなで

向きあっていきます。

コンプレックスのおかげで

自分が欲しいものであった

I wantのニーズに

気づけるかもしれませんし

コンプレックスがあったからこそ

それをバネにして

反骨精神で

頑張れたりすることが

多々あったりします。

だから、

コンプレックス=悪い

一概に悪いとも

言い切れない

という側面もあるのです。

あるところまでは

成長促進につながるので

外のものを手に入れられる幸せを

感じられるので良いのです。

でも、

どこかで自分一人で

到達できることに無理が

生じたりします。

夫婦関係だったり、

お金関係だったり、

組織崩壊だったり、

そのときを

「人生の目覚まし時計」と

呼んでおりまして、

「人生にサレンダーする」という

ときだったりもします。

ああぁいままでの成功パターンでは

うまくいかないんだolz。。。

みたいな感じです。

私の人生最初のサレンダーは

26歳の時でした。

・大人になって水疱瘡になって死にかけて

・自宅に泥棒が入られて現金20万円を盗まれて

・中学校時代の幼馴染と喧嘩別れしてしまう。

という人生最初の

挫折経験が訪れます。

頑張ってもなんにもならないのだ。。。

みたいな感じになって

身体がしんどいのも相まって

私の場合は、運気アップに興味がわいて来ます。

なぜ、隣の家には

泥棒に入られないのに

私の家には泥棒に入られるんだろう?

(謎)

なぜ、わたしだけ

大人になってから

水疱瘡になるんだろう?

(謎)

それは、運の良さに

連動しているのではないか?

(疑問)

という疑問が沸いてくるのです。

誰からも言われていないのに

目覚めるんですよね。

なぜ?

に目覚める。

本屋さんにある

「運気アップコーナーの本を

誰から言われたわけでもないのに

10年間読破して、ほぼ全て実践する」

だれから言われたわけでもないのに

これをしたら本当に運気がアップするだろうか?

と私という人間を通じて

人体実験する人生がスタートします。

その挫折経験が

あったからこそ

私の

行動力という天才性と

好奇心という天才性という

眠っていた天才性が

「どん底経験」から

目覚めることになります。

(ここでいう天才性とは

 世界一という相対的な比較の

 NO.1という意味ではなく

 強みみたいな意味合いです)

女性起業支援を教えていて

「女性はダサい人から

 習いたくない」

「女性は美人という

 ヒエラルキーのなかで

 生きているから

 ビジネスで成功したとしても

 オシャレじゃない。美人じゃない

 ダサい人から

 ビジネスは習いたくないんですよね」

って言われた経験から

(ヒド過ぎる言い訳だろw)

私は、

「ほな、みとけよ。」

「わたしが、オシャレになったら

 ビジネスやるねんな!」

と自分の

行動的である。

何事もリサーチする。

という天才性に目覚めて

雑誌のプロのスタイリストに

新宿伊勢丹に連れて行かれて

おすすめされたお洋服を

片っ端から買う。

(お金で解決できることは即解決)

そして、

弘中ちゃんや女子アナのヘアメイクや

松潤のヘアメイク

成田さんのヘアメイクなど

しているヘアメイクさんについて

ヘアメイクをしてもらう

ヘアメイクを習う。

など、

私の外見による

女性がする言い訳を

潰していくのです。

(なめんなよ!!)

というなめ猫精神です。(笑)

しかし、

どれだけ

何を用意しても、

先祖が邪魔しているのか?

潜在意識が邪魔しているのか?

親を投影するのか?

本人の性格の悪さなのか

よくわかりませんが、

色々な

言い訳をクリエイティブに

出して来て・・・

(それは、今であれば

 心のSOSで、本人の

 救いを求めた魂いの声だと

 わかるのですが・・・)

わたしには

あれがないから

できない。

わたしには

これがないから

できない。

わたしは、コンプレックスだらけで

ブサイクだから、できない。

とか

まあー、

そのクリエティブ能力

まず起業で活かせよ!

違うところで

活かせよ!

と叫びたくなるほど・・・

クリエイティブな言い訳を

聞く運びになります。

んで、最近

わかったことがあります。

結局、それもこれも

きっと受講生さんなりのSOSで

コンプレックスの塊で

ハリネズミだったのかなぁ

ということです。

みんな、自分の

コンプエックスに気付き

コンプレックスを癒せば

天才性を目覚めさせたり

何かしら、自分を成長させたり

人間関係が好転したり

能力が開発されたり

何かしら変化することが

できます。^^

でも、どこかでコンプレックスとは

異なる何かをガソリンにしなければ

終わりのない承認欲求と戦う

はめになります。

また、相手を蹴落とす(下げる)

必要性もでてきます。

そうでもしないと

自分の存在価値を

感じられないからです。

コンプレックスとはことなるものを

他者からの承認欲求とはことなるものを

私は「ライフミッション®︎」と

呼んでいます。

誰からも褒められなかったとしても

なぜなのか、わからないけれど

誰かから呼ばれているような気がして

これをやらずに死んだら

きっと後悔するだろう。

という類のものです。それを

ライフミッション®︎と

呼んでいます。

私は、こんな心の仕組みが

不思議すぎて、謎すぎて、謎すぎて、

心のことを学び

LMC協会で講座のカリキュラムを

作り続けているのです。

\(^^)あなたのコンプレックスを刺激する人は誰ですか?/

もしかしたら、

この問いによって、

あなたの本当に求めているものが

わかったりするかもしれません!

あなたの愛すべき才能や

天才性に気付けたりする可能性があるのです。

幸せに生きるには

外側のものももちろん大切です!!

生活できないと

大変ですからね。

また、それが自分の存在価値と

一致しているから

それがなくなると自己価値を

保てなくなるので

大変ですものね。そして、

ビジネスとして成り立つには

他者(お客さん)が必要ですから。

でも、

自分の内面が押しつぶされそうなほど

自分責めを繰り返してしまうと

またそれはそれで生きていて

まったく楽しくないので、

そういう自分に

気づいて、

そんなコンプレックスだらけな自分を愛して

心の奥底を緩めていきます。

「コンプレックスを持っている

 自分を愛する」

というと

「努力しない。」

「だらしなくなる。」

「甘やかし過ぎる」

ということを

想起するかもしれませんが、

決してそうでなはく

マイナスの自分補償する

補償行為(他人軸)

動かなくなる。ということです。

自分の根源の存在と近くなっていくことを

ピュアと呼びます。

大人になると

様々な責任が生じるので

会社の評価

お客様の評価

など、評価によって

無価値観を感じないように

・能力を高めたり

・鎧を強めたり

・心の扉を閉じたり

力を強めることに

意識がいきます。それは

社会で生きていくために必要です。

ただ、行き過ぎると

孤独や

自分責めや他者との戦いが

止まらなくなります。

戦いに勝った時は

気分がいいですが

戦いに負けた時は

コンプレックス=

無価値観が刺激されます。

そして、

幸福感から

離れていきます。

そんなことに沼っていると

14年があっという間

過ぎてしまいました(笑)

人間のこころの不思議

に向き合いつづけています。