「NO」と言える文化に、ちょっとびっくりした話。マレーシアより

先日、EOマレーシアのセミナーに参加したときのこと。

隣に座っていた方にお水を差し出しながら、

「お水、入りますか?」と声をかけたら、

即答で普通に「NO」と返ってきたんです。

なんてことのない会話かもしれないけれど、

私にとってはちょっと衝撃だったんです。

なぜなら、日本だったらこの場面、

たとえ今は喉が渇いてなくてもお水ですし

「ありがとうございます、いただきます」って

受け取る方が多いような気がしたからです。

それって、

相手の気持ちを汲んで断らないようにとか、

場の空気を壊さないようにとか、「NO」を避ける

文化の表れなのかなと思ったんです。

でも、マレーシアは多民族・多宗教・多様性の国。

だからなのか、「他人と自分は違うもの」

「提案は提案」「選択は本人の自由」という

空気感がある。

NOと言う人も、それを受け取る人も、

どちらもとてもフラット。

「あなたが決めてね」という感じ。

つまり、普段から“自分で決めている”んですね。

そして、そこに

心理的安全性を感じているから

気軽に断れるのかもしれません。

NOと言っても、嫌われるとか、気にしていない。

「今はお水いらないんだな」

ただそう思うし、そんなふうに終わる。

そこに「断られた=拒絶された」みたいな感情は

まったくなくて、

むしろとても健全で、心地よかったんです。

日本では目上の人や先輩からの提案に

「NO」と言うのは、

空気を読まない、失礼、わがまま…

そんなふうに受け取られがち。

私自身も、若い頃は「NO」を言うこと=関係を断つこと、くらいの重さに感じていた時期がありました。

体育会系出身と

営業出身なので、はい。YES。喜んで。

だけど、それって実は、

「YES」と言うことを求められすぎた結果、

思考が止まってしまっていたのかもしれない。

マレーシアに住んでいて、

ふとそんなふうに気づいたんです。

必要なときに、適切に「NO」と言えること。

そしてそれを受け止める側も、いちいち傷つかないこと。

それって、これからの時代にとても大切な、

“コミュニケーションの筋力”なのかもしれません。

ちなみに、私たち日本人はNOというときの

“言葉のバリエーション”も、実はあまり持っていない

のかもしれません。(今ならAIに考えてもらえますが)

NOと言う=相手を刺すか、自分が我慢するか。

そのどちらかしかない、という極端さ。

その間のNOが

あまりにも少ない。

そんなことを

研究している私でした。

マレーシアに住んでいるからこそ気づけた、

「NO」と言える自由の心地よさ。

それは、他人にも自分にも、ちょっと

優しくなれる魔法なのかもしれませんな。

断ると相手を傷つける。と思うのは

こちら側の傲慢な思い込みなのかも

しれませんね。

私は個性學の人志向配慮型という

相手に配慮してしまう。という性格を

外側に持っている。

というのと

LMC協会に来られる方が

「心に風邪を引かれている」

女性の方が多いので、

必要以上に気を遣ってしまうのかもしれませんね。

まあ、もうそんなことは

気にしなくていいんだな。

ということを学びました。

TAVがEOマレーシアには沢山あります。