叶さんでも落ち込むことあるんですか?

なんとも凄いタイトルですが、今日はメンタル系のお話です。(私のことを以前から知っている方は、叶がビジネスとメンタルと両方を扱っているのが特徴ということをよくご存知かと思います)私はよく夢を叶えていく&毎日楽しそうに見える。ということので、「叶さんでも落ち込むことあるんですか?」と言われることがあります。

当然ながら、私も落ち込むことがあります。だって、人間ですもの。

どういうときに落ち込むんですか?

ということですが、ご多分に漏れず、しょうもないことで落ち込みます。たとえば、最近まで妊娠中だったので、お腹が大きかったんですよ。はい。妊娠していていれば、誰でもそうですよね。頭ではそうだと理解しているのですが、どんどん太っていく身体に「出産して元の体重に戻れるのだろうか・・・」という不安な気持ちがやってくるのです。妊娠経験のあるお母さんたちに聞くと「私も、17kg太ったのよぉ。」とかザラに言われました。だから、安心かというと、「人によって違う」「その人はたまたまそうだっただけ」と思うので、どっぷり安心もできないのです。

そんなときに美容院にいくと、おしゃれ雑誌が置いてあるので読みます。す、すると!!

こんなステキなモデルさんがペンシルスカートを履いているじゃありませんか !!この写真を眺めると・・・「このスカート履きたいけれど、お腹ぱんぱんだから履けないよね。」とショックを受けます。(頭では「当たり前やん!!!(大阪弁)」とツッコミが入っていましてね。分かっているんですよ。)

しかも、出産前でも入っていたか分からないようなサイズ感のお洋服ですよ。(笑)それでもショックを受けます。妊娠して想像以上に体重が増えたんですよ。ウェスト100cm超えましたからね。爆。太っている=愛されない。という図式が見えてきますね。きっと「私は痩せるはずがない」という思い込みに惑わされているんだと思います。

どういうときに落ち込むんですか?Part2

それは、このホームページのデザイン部分を担当してくれているデザインパートナーの「川島彩さん」。との2Shot写真。彼女とは公では仕事のデザインパートナーでありながら、プライベートでは出産の先輩・お母さん歴先輩でもあるので、彼女の子育ての仕方を色々聞いています。

一般社団法人ライフミッションコーチ協会の設立記念パーティーの時

この写真は、わたしが代表をつとめる一般社団法人ライフミッションコーチ協会の設立記念パーティーのときの写真です。持っているロゴは、「川島彩さん」が作成してくれました。その意味などはこちらに書いてあります。

子育てアプリ「みてね」

彼女とは「みてね」という子育てアプリで、お互いの子育ての写真を共有して日常を共有しているのですが、彼女は日曜日など、楽しそうに動物園や遊園地などに行っているのです。

あ、ちなみにアプリの共有は、そうしようね。と言ったわけではなく、私が家族に見せているアプリをあやさんにも共有したら、あやさんも「みてね」を導入して自然に共有する形になった。というわけです。

叶夫婦は、お互いに「仕事大好き」という夫婦なので(とくに私)休日に動物園や遊園地にいくだろうか。と考えると、あやさんの家族写真を見て落ち込むのです。(勝手にね)旦那さんは、「動物園に行こう!」と言い出すタイプでもないし・・・。とか思うと、尚更先の起きてもいない未来を妄想して、落ち込むと。(笑)

いつもこういう話を聞くと、「自分軸でいきましょうよ。」とか「自分軸でいいじゃないですか!」「自分はどうしたいんですか?」など、と起業については励まし、自分軸を提唱する私ですが、得意ではない分野(たとえば、子育ての行事とか、遊びにいくのetc)これから訪れる「アンパンマンショーに行くのか」とか「子どもと一緒にプリキュアに行くのか」とか、それらの計画が、私のスケジュールの中に入ってくるだろうか?と妄想すると(まだそうなっていない年齢なのに)「ぶるぶる」と震えるのです。想像がつかないからです。

彼女に描いてもらった「LMC協会」のロゴの原画

そうやって自分の得意ではない分野を見ては「はぁ。」と落ち込むことがあります。「頭ではわかっているんですよ。」それは苦手な分野だし、いいじゃない。とか、あなたにはあなたの良いところがあるじゃない。とか分かっているのですが、落ち込むのです。おかしな話ですよね。

逆に、「私は、世界を旅するというのが好きなので、そのことができるから、子どもを連れて行って広い世界を見たらいいじゃない。」とか思うのですよ。

自分の強みを再確認したりして、頭で納得させようとしたりして。でも、勝ち負けじゃないんですよ。こういうの。何かが優れているから、何かに勝っているから、落ち込まないってものではないないんです。そもそも、この落ち込みに勝ち負けは関係ないんです。(私の場合ね。)

落ち込むっていう感情は、そういうものではないのです。

私は、世界を連れて行ってあげられるのに「世界を旅するお母さん=普通じゃない」「会社を経営するお母さん=普通じゃない」「こんなお母さんのもとに生まれてきて、もっと普通のお母さんの元に生まれてきたら、この子は幸せだったのではないだろうか。」という想いが根底にあることに気づいたのです。

私は小さい頃から「りえちゃん、普通じゃないよね」と言われてきたことがあって、この「普通じゃない」というのが、わたしのコンプレックスだったのです。

どうして「普通じゃない」と言われるのがコンプレックスなのか?

と言うと、きっと私にとっては「普通じゃないよね。」と言われることが「とても傷つく」からなんでしょうね。わたしにとっては「普通のこと」なのに「普通じゃないよね」と言われたら、「え?そうなの!」と驚くし、まるで「あなたと私は、仲間じゃないよね」=「だから、仲良しになれないよね。」という風に変換をしてしまうからなのかと思いました。(だれもそんなことを言っていない)

例えば、「普通じゃないよね」と言われたら、「普通はこうするのに」「あなたは変な子だよね」=「普通はこうすべき(MUST)だよね」と空気で強制されるような・息苦しさがあるのだと思います。

「普通じゃないよね」と言われると「仲間はずれ」という烙印を押されているような気がして、人間失格な気がして悲しくなってしまうのです。(これは私の思い込み)この感情が心の奥底にあるので、「私は普通のお母さんになれるのだろうか。」と落ち込むんです。

普通にならなきゃ病。

あやさんの「みてね」で家族で、週末に動物園に行っている写真とか見ると、わたしは週末に動物園に行く。という発想が思い浮かばないので、「あやさんは普段こんな生活をしていたのかぁ。はぁうぅ。」と思うのです。

人のことで気にしなくていいのは頭でわかっているのに「あのようなあやさんのように良いお母さんになれるだろうか」「日常生活で”動物園に行こう!”とか言えるお母さんになるだろうか。」と思うと・・・「普通にならなきゃ。普通でいなきゃ。」「普通になれない。。。」「普通じゃないと、叩かれる。」「普通じゃないと、仲間に入れてもらえない。分かり合えない。普通のお母さんじゃないと変わってると言われる。」「がーん!」と思って、落ち込むのです。

この写真は、台湾の百貨店の抱き枕コーナー

あやさんはその写真をアップしなければいいのか。と言うとそういうことじゃないんですよ。まあ、そもそも普通じゃないことを受け入れたらいいし、他人からどう思われてもいいんですよ。わたしもあやさんの投稿見て、やっぱり参考になる部分があって、あやさんの強みが分かったり、特徴がわかったりして、子どもグッズが知れたり勉強になるんです。あやさんに「これ、どこで売ってるの?」とか聞いたりして。

なので、あやさんは日常的にその写真に写っている世界が日常なんですね。あなたの当たり前は他人にとって当たり前ではない。というだけで。それに実は価値があるんです。

つまり言いたかったこと

文章をブログやメルマガ、SNSなどで情報発信をすると、「それって普通のことを描いているだけなのに、相手を落ち込ませる」ということが自然におきます。

別に「読み手を落ち込ませてやろう」なんて気はみじんもないのに、当たり前の日常を描いているだけで、読み手が「わたしは、あんな日常を送れていないなんて・・・」と人に思われてしまうこともゼロ「-0-」ではないのです。

いっぽうで「そんな世界があったのか!」と読み手に希望や新しい世界を見せてあげられることもあるのが、インターネットの凄いところです。(そんな世界をみせてあげよう。なんて思わなくても)読み手の新しい世界が広がる可能性だってあるのです。

台湾のマクドナルド

だから、いいたいこととしては、「あなたにとって普通のこと」をSNSに情報発信をしていても読み手は「落ち込み」「喜び」を自由に感じていいのです。その読み手がどう思うか?は読み手の自由なので、わたしたちがコントロールすることは出来ないのです。この台湾のマクドナルドの写真をアップしたのを見て、「何台湾に行ったのを自慢しているの?」という人もいれば「へー、台湾ってこんな感じなんだ!」と思う人もいれば、何も思わない人もいるのです。

情報化社会のよいところは、だれにでもアクセスしてもらえれば「情報を伝達することができること」また、「情報を探している人が、情報に辿り着くことができること」が良いところなのです。

一方で「その情報で落ち込む人」「その情報で喜ぶ人」がいるのも事実だと思いますが、受け手がどのように受け取るか?は、その受け手の自由なのです。アートの世界も同じだと思うのです。

なので、わたしの見ている世界は、わたしにとったら普通でも、読み手にとったら普通じゃない。ということがあっても、それを喜ぶ人も一定数いるので、気にせず普通の壁を超えたらいいのではないだろうか。というのが今日の言いたかったことです。つまり、読み手の心がザワザワしたら、それは読み手側の心の問題なのです。

心がザワザワした、そのザワザワを癒したり、内面ホリホリしたりして、自分の観念を見つけていく旅にでる。というタイミングなのだと思います。

読み手がどう思うか。は操作できないんですよ。相手は操作できない。だから、私たちは、発信したいことを発信したら良いのだと思います。きっと役に立つという人もいるから。根底に「誰かを傷つけようとしている」ということがなければ、それはその情報を求めている人にとっては「役に立つ情報」となるからです。

私もこのような情報知りたい人いるのかなぁ。というのが頭をよぎらないこともないんですが、(「え?まじで?!」とか言われそうですが…)でも、この情報が面白かったという人もいるので、その喜びもありますし、そのおかげで出会えた人々もいます。それが、インターネットの凄い所で、面白いところです。

結局、抱き枕を購入しました。

だから、叶さんでも落ち込むことあるんですか?という質問に対しては、このように日常的に落ち込むことがあります。でも、それは誰かのせいということではなく「心がザワザワしたら癒すチャンス」ということで、内観をしていくと。私は何に「心がザワザワしているのだろう?」と問いかけると(コーチング)そうか。私は「普通のお母さんなれなさそうことに心がザワザワしているんだ」ということが分かります。

普通になれないとなぜダメなの?

「普通になれないとなぜダメなの?」というと、「普通でいることがどこか安全で良いこと=誰にも批判されない=相手と仲良くなれそう」と思っている節があるんですよね。普通のお母さんでいることが求められる日本の遠赤外線(=空気)に怯えてどっか自分を抑えて生きているんだと思います。こういうことを書くと相手が傷つくかな。とか。思ったりするんです。それが大人になったということかもしれませんけどね。^^;

大多数じゃないと、叩かれるかもしれない。大多数のようにならないといけない。と思うから、そのように思ってしまうのだと思います。だから、あやさんの「子育ての写真」を見ても落ち込むし、「細いペンシルスカートを履けない=太っている=おしゃれじゃない=愛されない」みたいな図式にも気づきましたし、ということは「心のザワザワはチャンス!」なのです。

文章にして言語化すると「あ〜!すっきりしました〜!」これが内面ホリホリの良さです。一説には、言語化すると悩みの7割は解決する。と言われています。文章を書くと、すっきりするのです。自分の内面が分かって。ということで、今日のブログは終わります。叶さんも落ち込むことあるんですか。という問いに対しては、私も日々小さなことで落ち込んでおります。そのときに「相手が悪い(加害者)=私が正しい(被害者)」の図式にはまらず、また、「自分が悪い(加害者)=相手が正しい(被害者)」の図式にはまらず、「私が正しい=相手が正しい」の対立にはまらず、自分はどうしたいの?自分は何に傷ついているの?と内面ホリホリの旅に出たらいいのです。

落ち込むたびに、内面ホリホリの旅に出ています。

私はどうしたかったんだっけ?

私は何がしたかったんだっけ?

私は何が悲しいと思ったの?

と内面ホリホリしていくと「心の平安」が取り戻せます。そして、あなたが「誰も傷つけない」と思って情報発信していても、読み手の観念によって、それを良いと思ったりする人もいるし、また逆のことも思ったりする人もいるのです。でも、それは受け手の自由なのです。表現するほうも表現の自由がありますので、両方の自由なんです。

落ち込むという感情は悪いものではない

落ち込む・悲しむ・というネガティブな感情を悪いものとして蓋をしてしまうと、「うんこ」出さないみたいなものなので「感情の便秘」になります。「感情の便秘」になると、心が苦しくなります。自然に自分が何を感じているのか。を出していくと、とても生きやすくなります。内面ホリホリをしたいと思ったあなたは、一般社団法人ライフミッションコーチ協会にて無料の体験セッションを受けてみられることをお勧めします。最初は1人ではなかなか掘れないので。

そう、だから最初の質問ですが、外側の状況が整っても、(たとえ100万円稼げても)「落ち込む」とか「悲しい」という感情はまったくのゼロ-0-にならないのです。人間ですもの。うんこもなくならないでしょ。

すごい人になったら、もっとすごい人がいますし。理想の収入になったら、理想の収入がもっと上がっていきますし、比較する人も上がっていきますし、下がったら不幸せになりますし。幸せの青い鳥のようなものです。

すごいって外側のものなので、内側の幸せとは必ずしもリンクしているものではありません。幸せって、他人との比較ではなく内面からじわーんと湧き上がってくるものだと思うのです。

感情のうんこを出している

感情のうんこというものを出していくと、スッキリしていきます。でも、これは人に見せるものではなく、自分の内面のノートに出して行って誰にも見せないものなのです。無理やりポジティブシンキングに変換しすぎるのも違うのでね。

そうすると、何に悲しんでいるのがわかるので、それを癒すことができます。内観して自分の過去の古い記憶にたどり着いたら私の場合「ヒーリングコード」で癒しています。だから、「叶さんは悩みなんてあるんですか?」とか「いつも楽しそうでいいね」と言われるのかもしれません。

感情のうんこは定期的に出していきます。だって、私たちも毎日食べて、毎日うんこしていますものね。感情のうんこも1回出したら、それで終わり。ということはありません。感情のうんこは都度感じたら、出していきます。

毎日彼女のリアルうんこを取り替えています。

感情のうんこを聞き出すのが上手で、共感し、受け流すのが上手な人をカウンセラーさんと呼ぶのだと思っています。うんこという表現はどうか・・・という人もいるかもしれませんが、だから、うんこ出しやすくする「浣腸」みたいなものなのかもしれません。出した後スッキリするでしょ。

感情のお医者さんなんですよ。もちろん、精神科医という存在もいますので、薬を処方できたり、医学的に取り扱うのは、お医者さんだと思います。でも、精神科医も毎日1-2時間も1人にたいして話を聞いたりはなかなかできないと聞いていますのでね。そういう存在も必要だと思います。

薬を処方して終わりというクリニックもあります。だから、カウンセラーは、感情のうんこを出しやすくする人なんだと思います。人がいると壁打ちになるので、感情が出しやすくなります。人に話していると思い出すこともあるからです。うんこを聞いてくれるから、プロなんですよ。うちの協会だと、ライフミッションを見つける講座「トゥインクルスター養成講座」を開講する講師がそうだと思います。

感情のうんこを出したあと、過去を癒す「ヒーリングメソッド」とは?

自分の観念は、過去の思い出。そう記憶のかたまりで出来ています。その観念を持っていても良いし、手放しても良いし、どちらでも良いのです。

ただ、私は癒したいと思うことのほうが多いので、その度に私は「ヒーリングコード」を実施しています。なぜなら、そのほうが楽しく、心が楽に自由に生きられる感じがするからです。(あくまで私の場合ね)

「ヒーリングコードって何?」という方はこちらのサイトから無料で本を取り寄せてください。わたしと一緒に癒していきましょう。